やはり血は争えず
- 声:玉川紗己子
小説版では第4巻で登場して、アニメ版以上に重要なキャラとなっています。
彼女に対して私の抱くイメージは、ひとことで表すと「妹に対する依存」。
「溺愛」や「過保護」などは、よく言われているようですが……。
小説版で明らかになった設定によると、サティさんとレンゲは7つ違いの姉妹で、
(スニーカー版)(エニックス版では6つ違い。これもミス?)
神将だった父親は、レンゲが生まれる前に巨岩兵との戦いで亡くなっています。
また、母親はもともと体が弱く、レンゲを生んですぐに眠るように息を引き取りました。
衣食住の満ち足りた天空界では、親を亡くしたとしても、
生きていくのに苦労するなんてことにはならなかったと思う。
それに、出生率の低さゆえの
「子どもはすべて天空界の申し子」という思想が普遍しているから、
きっとこの姉妹も、同じ村の大人たちに可愛がられて育ったんだと思います。
でもやっぱり、たったの7つかそこらの女の子(=サティさん)には、
両親を立て続けに亡くすのは辛かったんじゃないかなぁ。
いくら天空界に「死」という概念はないといっても、
大切な誰かがいなくなった時の淋しさは、私たち人間が持つ感情と変わらないと思うし。
だからその分、妹に対する愛情は深くなったんじゃないかな。
たったひとりの家族で、両親の形見でもあるのだから。
神将だったという父親は、その任務のために家を留守にしがちだったと考えられるし、
母親は身体が弱かったそうだから、
サティさんはきっと、わがままをいったり甘えたりしたい気持ちをうんと抑えて
「いい子」になろうとしたんじゃないかなぁ。
何となく、ちっちゃい時に必要以上に我慢してた人、という印象があるんだよね。
そして、自分が両親に思う存分甘えられなかった代償に、
妹をめいっぱい可愛がることで心のバランスを保っていたのではないかな、
と思うのです。
ちょっとややこしいけど、そういう意味での「妹に対する依存」。
本人がどのあたりまで自覚しているかはわからないけれど。
周りの大人たちも、妹の面倒をよく見ていた彼女を
「しっかり者の優しい姉」と褒めはしても、心配なんてしなかっただろうし。
あ、こんなふうに書くと、まるでサティさんが
自分の淋しさを埋めるためだけに妹を可愛がってるとか、
サティさんからレンゲちゃんへの一方通行の愛情みたいですが、
そんなわけではないですよ、もちろん。
妹のことはほんとに可愛くてしょうがなくて、大切にしてるんだと思います。
そしてこの姉は、妹にとって母親代わりでもあったわけですね。
7つの年の差って、ある程度年をとってしまえば、
時には気にならなくなってしまうと思うのだけれど、
子どもにしてみれば1つの違いだって大きい。
それにこの場合、姉は妹をそれは可愛がったと思うから、
妹も安心して甘えていたんじゃないかなぁ。
そして、姉のおかげで「母親」の不在をそれほど意識せずに済んだことが、
かえって「父親」に対する憧れを強くしていったのでは、と思うのです。
その妹が6歳の時、ある事件が起こります。
村が巨岩兵に襲われて、妹はひとり逃げ遅れてしまうのですが、
偶然視察(?)に来ていたインドラ様に
寸手のところで助けられるのです(小説第2巻&第5巻)。
この時、ずっと求めていた「父親」の姿をインドラ様に重ねた妹は、
その後おそらくは大人たちの話をいろいろとつなぎ合わせて
「神将候補生となって天空殿に上ればインドラ様にお会いできる」
「神将になればずっとお側にいられる」
ということを知って、神将になることを願うようになったんじゃないかなぁ。
本人は「インドラ様の強さに対する憧れ」がきっかけになったと
マリーチに話していますが(小説第2巻)、
本音はそんなところだったのではないかと私は思っています。
妹は、姉が両親を亡くした年よりも幼いうち(6歳)に、
家族よりも大切な人(=インドラ様)を見つけて、
その人に少しでも近づくために神将を目指すようになった。
そして、成長して天空殿に上り、八部衆の一員となるまでに、
さまざまな出会いを経験した。
自分の住む世界をどんどん広げていったわけです。
それに対し、姉は、両親を亡くしたことに始まる全てが
「家族への恋しさ」につながっていったのではないかと思うのです。
妹が巨岩兵に襲われて間一髪で助けられた時も、その想いを強くしたんじゃないかなぁ。
妹が「神将になる」と公言しすっかりお転婆に育ってしまってからは、
「乱暴なことはやめてちょうだい」や
「女が神将になるなんて並み大抵の苦労じゃないのよ」が
サティさんの口癖になっていたようです(小説第4巻)。
それは多分、周りの大人たちと同じ意見だっただろうけど、
自分たちの父親のように、神将がその任務のために命を落とすこともあり得ると
知っているからこその言葉だったのではないかなぁ。
サティさんたちの世代って「大戦」終結からすでに1万年たっているから、
特に子どもたちにとっては、「神将」というのは、
特撮ヒーローのような存在だったのではないかと思うのです(あくまで例えですが)。
強くて、かっこよくて、絶対負けない正義の味方、って感じで。
インドラ様に助けられた妹は、まさにそんなイメージを刷り込まれたんだと思います。
だけど姉は、神将に対してプラスのイメージだけを抱いているのではなく、
死と隣り合わせであるという現実を経験から知ってる。
異動宮が接近しつつあることや、アスラ神軍の来襲がそう先ではないことも、
大人たちから聞かされて漠然とでも理解していると思うし……。
だから、妹を何とか思いとどまらせようと必死だったんだろうな、きっと。
妹がとうとう意志を曲げずに神将を目指して天空殿へ上った時、
サティさんは涙を見せずに見送ったけど、
内心は淋しさと不安でいっぱいだったのだと思います。
そして数年後、妹が最強の神将部隊・八部衆の那羅王となってからは、
そのことを誇りにしていたようですが、
でもやっぱり、淋しさは募らせていたんじゃないかなぁ。
妹が元気でいるかどうか、そればっかり考えて過ごしていたりとか……。
そうして、妹とはちょうど正反対に、
精神的には自分と妹の2人だけの広くはない世界で生きてきた……、
そんな感じがしてしまうのです。
村では評判の娘さんだったと思うのですが。
サティさんとレンゲちゃん、この姉妹はほんとうに興味深いです。
ぱっと見の印象は「優しくて穏やかな雰囲気のお姉さん」&
「男勝りで負けず嫌いの妹」と対照的。
でもサティさんの、情熱的というか、衝動にかられて行動してしまうところには、
血は争えないものだなぁと思ってしまいます。
ただ、2人の大きな違いは、大切な人を失う哀しみを知っているか否かという点。
姉は物心ついた頃に両親を亡くしているので、その体験が胸の中に生きてるんだと思う。
一方、妹は当時まだ生まれたばかり(or生まれる前)の赤ちゃんだったから、
その体験は記憶にはないわけですよね。
姉はその「喪失体験」によって、
大切な誰かを失うことに対する恐れを無意識に抱き続けているけれど、
妹にとって両親はもとから不在だったのだから、
「失うこと」に対する恐れなんてそもそも知るわけはない。
両親のそろった家庭と自分たちを比べて、
淋しく思うことやうらやましく思うことはあったとしても。
そんな彼女も、マリーチやインドラ様といった、
自分に多大な影響を与えた人の死に直面することになるのですが、
少なくとも反乱劇の前まではそうだったはず。
これが、サティさんとレンゲちゃんの決定的な差かな。
どちらも、その大切な相手に尽くすタイプだという共通点もあるけれど。
そうそう、サティさんの妹に対する溺愛っぷりは回想シーンなどからも伺い知れますが、
レンゲの姉に対する感情はどんなものなのか。
レンゲの視点からのエピソードは今のところ出ていないけれど、
やっぱり姉のことは大切にしてるんだろうなぁ、と思います。
反乱劇の真実を知った後も、自分にとってインドラ様の存在があまりに大きくて、
それゆえに「もはや真実など無意味! あるのはインドラ様を守るか、その逆か!」
(これも名台詞:小説第6巻)という生き方を選んだけれど、
そこらへんの姉妹よりもずっと結びつきは深いんじゃないかな。
(でも、それって「シュラト」に登場する兄弟姉妹みんなに言えることかも)
レンゲは、インドラ様の死によって心を閉ざしてしまったまま第一部ラストを迎えます。
小説第7巻はその2年後から始まるとのことですが(エニックス版第6巻あとがきより)、
レンゲはやっぱりそのままなんだろうな……。
で、ここで問題になってくるのはサティさん。
死んだと聞かされていた最愛の妹が実は生きていると知った時、
彼女はどういう行動をとるのか?
……これ、ずっと気になっています。
レンゲは(過程はまだ想像するしかないけれど)いつかはその哀しみを乗り越え、
八部衆の一員として戦線復帰することがほぼ確定していますが、
サティさんに関してはまっさらの状態なので。
そして、私なりにいろいろ考えていたのですが、まとまりかけた答えの一部を、
すでにOVA「創生への暗闘」で美奈さん&ガイの姉弟が実演してくれていました。
OVA第5巻の美奈さんの
「姉さんがずっとそばにいてあげるから、もう何も心配することなんてないわ」
という台詞は、私のイメージする小説版第二部序盤のサティさんそのもの。
というより、甲斐甲斐しく弟の世話を焼く美奈さんと力なく腰掛けたままのガイは、
もう、まんま、この姉妹の予想図。
初めてOVAを見た時は内心あわててしてしまいました。「先越されたー!」みたいな。
(越されたも何も、ってことは百も承知なのですが)
妹が生きていたと知って、サティさんは涙を流して喜ぶんじゃないかなぁ。
以前のような元気な姿でなくても、笑顔を見せてくれなくても、
そばにいてくれる&いさせてくれる、ただそれだけで、どれほどうれしいことか。
でも、妹は神将だから、元気になったら戦いに参加しなくちゃいけない。
本人がそれを望んだとしても、姉としてはもうただ黙って見送るなんてできない。
……レンゲが元気になった時こそ、サティさん、家族を失うことを恐れて、
それこそ命をかけて妹を引き止めようとするのでは?
第25話や小説第6巻のサティさんは、天空界の未来に絶望する人々を叱咤激励するなど、
気丈なところを見せてくれますが、ふと考えてしまったのです。
今は非常時だからこそ平静を保っているのであって、
もし妹が死んだままでアスラ神軍との戦いも集結するとしたら、
その時はこのお姉さん、どうなっちゃうかなぁ、って。
平和が訪れて緊張がほどけた途端に、もう何もできなくなっちゃうんじゃないかな……。
私には、サティさんの頼りなさと心細さが透けて見えてしょうがないです。
第14話で、その場を去ろうとするシュラトの手に
サティさんが思わずすがりついたのは、
妹なしではどう生きていったらいいのかわからなくなってしまった彼女が
とっさに救いを求めたからなのだ、と解釈しています。
私個人の単なる推測ですけれど。
シュラトに惹かれたから、という説も否めませんが。
というか、惹かれたからこそ救いを求めたんだろうなぁ、と……。
アニメ版で初めて見た時以来、小説版を読んでからも、
その後いろいろ深読みした結果、彼女をこんなふうにとらえるようになった今も、
サティさんは私のお気に入りキャラの上位に入ります。
「好き」というより「興味深い」の方がより正確かも知れませんが。
そういえば、レンゲが「女」でラクシュが「母性」という話を
それぞれのところでしましたが、サティさんはその中間という感じかなぁ。
でも、どっちか選べと言われたら「女」。
やっぱりこの姉妹はよく似ていると思います。
最後にもうひとつ。
第14話のエピソードは、放映当時の私に
「『シュラト』って、他のと違う」と思わせるものでした。
私がそれまで見ていた「テレビまんが」「ヒーローもの」では、
主人公の「正義」は揺るぎなくて絶対的なものでした。
少なくとも、記憶している限りでは。
この作品でも、その点は変わらないと思っていました。
同じ八部衆同士で戦わなくてはならなかった時も、
それはシュラトが言うように「仕方がなかった」のだから。
普通だったら、ここでわざわざ、
仕方なく戦い死なせてしまった相手の家族なんて登場させずに、
物語を進めていったのではないでしょうか?
このエピソードなしでもストーリー的には問題ないと思いますし。
でも、あえて踏み込んで、戦った相手にはその死を悲しむ人がいること、
シュラトたちに「正義」はあっても
それだけで全てを正当化することはできないということを、
悩むシュラトを通して物語に刻み込んだ。
……そういうお話は私にとって初めてで、とても印象的でした。
もっとも、当時の私は何がどう「他のと違う」のか、
自分でも整理できなかったのですけれど。
それに、シュラトだって、第4話では、
リョウマやヒュウガにとっては仲間であったはずのタクシャカやランバーンを
魔破拳で吹っ飛ばしても、罪の意識を全く感じていなかったのだし。多分。
彼もちゃんと成長しているんですよね。
って、あれ? サティさんについてまとめるはずが……。
えーと、とにかく、サティさんは「シュラト」という作品において
けっこう重要なキャラだと思います。
そう思ってるのって、私だけかな。どうかしら。
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